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ぼっちが社会に適応できなくて200万円の借金地獄に落ちた物語

はじめまして、ぼっちのアニキです。
ここでは僕の過去の失敗談を元にした自己紹介をしたいと思います。

まずは手始めに、
現在やっていることを挙げるとこんな感じです。

  • 回復期リハビリテーション病院で理学療法士として勤務(9年目)
  • 教育研修部のチームリーダーとして新人、在職者教育を担当
  • ブログやYouTube、Twitterなどのメディア運営

など。

ちなみに、
これまで理学療法士(PT)として外部の研修会に80回以上参加して
100万円以上使ってきましたが、
本当の意味で自己成長したきっかけは思考方法が変わったからです。

そしてそれは、ぼっちだったから出来たことでもあります。

「なんとなく」で参加していた過去の研修会が
いかに無駄でもったいなかったことか…

あとで詳しく話しますが、
「学ぶ」ということは人生において
非常に重要だと僕は考えています。

それは理学療法士として成長することについても言えますが、
ひとりの人間として、
成熟した大人になるために必要なものです。

と、小賢しく言ってみましたが、
そもそも昔の僕はぜんぜんやる気のないザコ療法士でした。

25歳までの僕は、

  • 人と話すのが苦手
  • 集団の中で目立つのが苦手、集団に馴染むのも苦手
  • 今まで何かに熱中したことがなかった
  • 理学療法士として働き続けることに疑問を感じていた

25歳以降では、

  • 理学療法士の給料に不満があった
  • 仕事が楽しくなくてミーティング中もうとうと船を漕いでいた
  • 先輩に「目が死んでいる」と言われる
  • ビジネスに手を出して詐欺に引っかかる
  • 200万円の借金を背負って彼女にフラれる

こんな感じ。
ひどいもんです笑

基本的にはごく普通の一般家庭に育った、
ごく普通の人間です。

そしてそれゆえに、
将来の夢が何もなかった。

PTとして目指すべきもの、
信念がありませんでした。

何より、
いままで夢中になって何かをやった経験がない。

このことが一番のコンプレックスでした。

そこにつけ込まれた挙句、
わけの分からないビジネスに手を出して、
ますます自分の中の軸を見失っていきました。

ですが現在は
自分の中に確固たる軸があります。

立脚点と呼ぶべきその地点に立ち返れば、
いつでも最善の道を選ぶことができるようになりました。

今ではそれなりに充実感と幸福感のある人生を送れています。

以下、そこに至るまでの道筋を
書き記してみました。

生い立ち

はじめに、僕の人物像を書いていきます。

埼玉生まれ、埼玉育ちです。
一人っ子の長男として生まれました。

母親が38歳の時に出産した第一子なので、
当時(1989年)はかなり珍しかったそうです。
病院は厳戒態勢さながらだったとか。

予定よりふた月くらい早めに、
逆子で生まれました。
生まれた時から世間に逆らっていた笑

血中ビリルビン値が高くて、
「将来障害が残るかもしれない」
と医者に言われたそうです。

幸いにも無事に育ちましたが。

小さい頃から、
あまり手がかからない赤ん坊でした。
泣く頻度が少なかったからです。

幼年期に受けた予防注射で、
「我慢してえらいね」
と看護師に褒められた記憶があります。

今思えば、
感情を表に出すのが苦手なのは
この頃から変わっていません。

泣かなかった、のではなく、
泣けなかった。

砂場で遊んでいるときは、
母親の半径3メートル以内から
離れることがありませんでした。

同年代の男の子なら、
普通は走り回って目が離せない時期なのに、
です。

外に出るのが嫌いで、
母親は僕を連れ出すために
「BB弾を拾いに行こう」
と作戦を立てる必要がありました。

当時はめっちゃ落ちてたんですよ、BB弾
エアガン流行ってたんですかね。

とにかく内向的で大人しい子供でした。

僕には兄弟がいません。
ですが、二人の従姉妹とはよく遊んでました。

3つ下と1つ下の女の子です。
男勝りな長女とゲームやったり遊戯王カードしたり。

大人しい次女は僕ら2人の輪に入れず
寂しそうにしていたことが何度もありました。

これも当時は気がつかなかった。
いや、
気にしていませんでした。

いやなガキです。

静岡の片田舎にある母方の実家に
長期休暇の間中泊まり込んで
3人で遊びまわってました。

ひいおばあちゃん=おおばあ
おばあちゃん=ちいばあ
僕と従姉妹2人でつけた呼び方です。

中でも記憶に残っているのは
「おおばあの冒険」と題したゲームです。

わざと怒られるような悪戯をして
おおばあちゃんをからかって遊んでました。

当時90代後半だったはずですが、
箒を振りかざして追っかけてくるんです笑
それをギャーギャー言いながら走って逃げる。

もうね、これが最高に楽しかった。
たぶん、おおばあちゃんも僕らの遊びに
付き合ってくれていたんだと思います。

ひょっとしたら
マジギレしていたのかもしれませんが笑

僕が同年代の人と話すより
高齢者と打ち解けやすいのは、
この幼少期の思い出が大きく関係しています。

小学校に入学して友人ができて、
中学に進学してからも友達と遊び回ってました。

相変わらず夏休みは静岡に行って
従姉妹含めた家族でキャンプしたり、
たまに埼玉の河原でBBQしたり。

何の不満もありませんでした。
とにかく毎日が楽しかった。

歯車が狂い出したのは高校に入学してからです。

ぼっちだった高校時代、机にエロ小説を仕掛けられた話

変わった高校でした。

偏差値60程度の進学校ですが、制服がありません。
入学式や卒業式は2回ずつあります。

この時点で普通じゃないです笑

とにかく自主自立を重んじる学校でした。

来賓を招いたお堅い式典は最初の30分でおしまい。
あとの60分は在校生が手作りした
オリジナルの入学式です。

黒い画用紙をくり抜いて
色とりどりのセロファンを組み合わせた
ステンドグラス風の飾りが窓を覆ってました。

軽音楽部のバンド演奏を背後に、
新入生一人一人が壇上に上がって
マイクで「入学の抱負」みたいなのを話します。

それに在校生が「よく来たなー!」とか
テンション高い相槌を打つわけです。

すごくないですか?笑
どんだけ意識高いんだ、って話です。

この時何を話したのか僕は全く覚えてません。

完全に雰囲気に飲まれてました。

というか、
高校全体を通して
思い出らしい思い出がありません。

友達は一人もできませんでした。

昼休みはいつも図書室で本を読んでました。

常に感じていたのは、
周りとの温度差です。

特殊な校風に進学校、ということもあって、
ここに入学してくる生徒は
みんなそれなりに「やりたいこと」を持ってました。

いや、ほんとに。
ぼっちだったから
そう思い込んでいただけかもしれないけど笑

生徒会に入って校風や校則を変えたい。
髪型や服装を自由に表現したい。
文化祭や体育祭を一から手作りしたい。

はたから見れば
そんな雰囲気にあふれてました。

かたや僕はと言えば、
「何そんなにがんばっちゃってんの?」
と冷めた目で彼らを見てました。

この高校を選んだのは
たまたま成績とマッチしていたから。

母親が校風を気に入って
ここ良いんじゃない?と勧めてきたから。

それだけの理由です。

主体性のなかった僕にとって
周りの生徒はみんな異星人に見えました。

でも本当は羨ましかったんです。
僕も何かに夢中になってみたかった。

高校一年の時はギター部に入部しました。
本格的なクラシックギターで、
大会で上位入賞するようなハイレベルな部です。

1年で退部しました。

音楽センスがない、
2年に上がる頃にはみんな10万円のマイギターを買う、
建前の理由はこの二つです。

でも本当は違いました。

音符が読めなくても必死に、
それでいて楽しそうに練習する同級生。

バイトで稼いだ10万円でギターを買う、
のではなく
ギターを買うためにバイトをする。

そんな情熱を持った集団に馴染めず
居心地の悪さを感じるようになったからです。

ここは僕のいるべき場所じゃない。

そう思ったから辞めました。

その後始めたスーパーの青果店のバイトも
映画館のバイトも、1年持たずに辞めています。

継続力のなさに自分でも呆れますが…

僕は目的のない作業をすることに
強烈な忌避感を覚えてしまう性格です。

「今自分がやっていること」に
何らかの意味を見出せないとやる気が起きない。

そういう性分なんだから、これは仕方ありません。

高校生はバイトするもんだ、
なんていう固定観念から始めたものが
長続きするはずがありませんでした。

アルバイトで稼いだお金で何をするかといえば、
ゲームと漫画と小説をひたすら買い漁ってました。

物語に触れることが
僕が感じていた孤独を紛らわせるための
唯一の方法だったから。

印象的な出来事があります。

僕はつまらない授業中にも小説を読んでました。

左手で文庫本を開いて、
本の上半分を机の中に入れたまま読みます。

右手は机の上でペンを持ったまま、
頭を完全に下に向けることなく、
軽くうなづくようにして目線だけを落とします。

先生がこちらを見た時はすかさず、
本を見開きのまま引き出しの中に置いて両手を机の上に出す。

こうすればほぼバレません。

で、あるとき
前の授業中に机の中に見開きのまま置きっぱなしにしていた小説が
エロ小説にすり替わっていたことがありました。

「さて続きを読むか」と手元に視線を落としたとき、
つい10分前まで事件の謎を追っていたはずの主人公が
二人の女性に体中を舐めまわされてました。

もうね、
頭の中は「??!」ですよ笑

まさか授業中に本を机の上に出して
タイトルを確認するわけにいかないし。

古文の格調高い古典文法をクラスメイトが学んでいる中で、
「老舗旅館のセクシー女将とラブラブH」(てきとうです)
なんて官能小説を出そうものなら
社会的に死亡確定です。

すぐに気がつきました。

あ、からかわれてる
って。

休み時間中、
僕がトイレに行っている隙に仕掛けたんでしょう。

きっと前日から計画していたはずです。

左手に官能小説を持ってキョドっている僕のことを
はたから見て笑いを堪えている連中が
どこかにいる。

そう察知したとき、
猛烈に腹が立ちました。

で、どうしたかというと
そのまま官能小説を読み続けました笑

ノーリアクション。

僕にできた、
たった一つの抵抗がそれだったからです。

感情を出したら負けだと思いました。
微動だにせず、表情も変えず、古典のつまらん授業を受けながら
冬の山小屋で大学生がHするシーンを読んでました。

きっと仕掛け人たちは拍子抜けしたことでしょう。

結局下校するまで何のアクションもありませんでした。

でも本当は感情を出して良かったんです。
というか、出すべきでした。

次の休み時間に、
「これやったの誰だよ、めちゃくちゃ面白いじゃねーか!」
とか言って。

「おおばあの冒険」の時のばーちゃんみたいに
子供に付き合ってやる、
くらいの気持ちで。

でも、それができませんでした。
自分の感情を表現するのが怖かったからです。
その方法がわからなかったからです。

そしてこれ以降、
僕はますます自分の殻に閉じこもることになります。

…ちなみに、
官能小説はそのまま持って帰って全部読みました笑

理学療法学科へ進学、自分が異端者と気づいた話

理学療法士という仕事を知ったのは
高校の先生が教えてくれたからです。

その頃の僕は、特に理由もなくデスクワークの仕事には就きたくない
と思ってました。

医療に興味を持ったきっかけとしては、
当時はまっていた海外ドラマ「ER-救急救命室」の影響が大きいです。

ただ、医者を目指せるほど頭良くないし、
薬学部は6年制で学費も高い上に化学は嫌いだし、
じゃあ後は…みたいな消去法てきな考えが大きかった気がします。

特に深い理由なんてありませんでした。
大学受験のために予備校に通ってましたが、
そこに行くのがとにかく嫌だった。

個別授業スタイルのとこだったんですが、
毎回10分以上遅れてくる先生を塾長に話して変えてもらって、
その次に担当になった教師はうつ病で突然いなくなり、
3人目にやってきたのは最初に変えてもらったはずの遅刻先生でした。

さすがに遅刻は治ってましたが、
授業終了時間を20分以上オーバーするのが当たり前。
そのことを相談したら、
塾長は「長い分にはいいじゃないか」と取り合ってくれませんでした。

限られた時間で生徒に効率よく勉強を教えるのが
教師の仕事だと僕は思っていたので、
この時点で「予備校やめるわ」と親に相談してすぐ辞めました。

そこからは推薦に絞って化学Ⅰと小論文と面接を徹底的に勉強しました。
で、無事合格。
クラスメイトより一足先に受験戦争から抜け出せたことが
なにより嬉しかったのを覚えてます。

変にプライドだけは高かったんですよね。
自分はやればできる、てきな。

大学は新鮮でした。
高校で友達ができなかったのは特殊な校風のせいだと思っていた僕は
大学ではウハウハなキャンパスライフを送れる、
と勝手に想像してました。

ところがどっこい、全然友達ができない笑

「なんとなく」でPTの学校に入った僕にとって、
周囲との温度差は高校時代よりむしろ大きくなっていました。

考えてみれば当たり前の話です。

理学療法学科に入った以上、理学療法士になるしかないわけで。
そこにはPTになりたい学生がたくさんいます。
そしてPT志望者にはスポーツマン系の人が多い。

僕は生まれてこの方、球技をやった経験がありません。
なんならそこらの小学生に余裕で負けるレベルで運動音痴です。

それも相まって、全然周囲に馴染めませんでした。

大学生になっても僕の居場所は相変わらず、
図書室か保健室のどちらかしかありませんでした。

なかには僕のようにズレた生徒もいましたけどね。
彼らとも表面上の付き合いしかできなかったんですが、
その存在に随分と救われました。

ペアでやる実技授業なんて
ぼっちにとっては悪夢でしかありませんからね…

灰色の大学生活でしたが、彼女がいたこともありました。
自慢じゃなく、当時の理学療法学科80余名の中で
一番可愛かった子です(主観)。

人生初の彼女がこんなに可愛い子なんて…
自分でも舞い上がってましたね。

けっこう戦略的にアタックしてましたが、
まさか付き合えるとは思ってませんでしたから。

でも所詮は戦略。その後が続きません。
彼女の気持ちが僕に傾くことはなく、
3ヶ月ほどで別れることになりました。

結局手さえ繋がなかったですね…笑

ただ一つ学んだのは、
人間考えて行動すれば意外と何とかなる
ってことです。

推薦入試にしろ恋愛にしろ、
自分の頭で考えて道筋を立てるのは
とても大切だと気が付きました。

ただ僕の悪いところは
いらんことまで考えすぎることです。

1回目の臨床実習が終わって次に備えていた期間、
それまで燻っていた不安が
顔を出して訴えかけるようになりました。

「僕はPTに向いてないんじゃないか」

という根本的な不安です。

今ならこの考え方自体が間違っていると分かるんですが、
当時の僕は本気で悩んでました。

PTになることに情熱を持てない僕なんかが
患者を治療していいはずがない。

そう思って担任の先生に
「休学を考えている」と相談しました。

さすがに予備校みたいに簡単に辞める、
とは言えなかったからです。

なんとも中途半端ですね…

で、先生が心配して三者面談することになりました笑
小学生かっ!っていうね。

「自分探し」なんていう大学生が考えがちな
馬鹿げた道を選ぼうとしていた僕を止めてくれたのは
母親と先生です。

もうね、感謝しかない。

そもそも自分探しで見つかる「本当の自分」
なんてものは存在しません。

「本当の自分」とやらを探している今の自分は
じゃあいったい誰なんだよ、って話です笑

結論として、2度目の臨床実習行ってから考えよう
ってことになりました。

休学するにしても、
実習終わらるに越したことはないでしょ、って。

理論的に説得されれば僕は弱いです。
本当に、豆腐のように脆い。

それが後々大変な結果を招くんですが、
それはもう何年か先の話です。

とにかく、
あっさり納得して実習に行くことになりました。

そして、結果的にこの判断は大正解でした。

何よりスーパーバイザー(SV)の教え方が
めちゃくちゃ上手かった。

普通学生にはボトムアップでいろいろな評価をしてから
問題点を抽出するやり方を指導しますが、

僕が学んだのはトップダウンの
より臨床に近い考え方でした。

これが非常に面白かった。

その人にあったやり方で指導する、
当たり前のようでいてなかなか難しいことです。

そして、
学校は対集団という性質上それができません。
多くのセミナーにしてもそうです。

自分に合った学習の方法を知っていれば
勉強は面白い。

SVから学んだ教訓は
現在の僕にとって一つの原点になっています。

結構な高評価で2度目の臨床実習を終えた僕には
もう休学しようなんて気はさらさらありませんでした笑

単純なもんです。
いかに自分の中に芯がなかったかがよく分かります…。

国家試験の勉強は学校で頑張りました。

僕の通っていた大学は臨床実習が終わるのが早いので
勉強する期間は十分にありました。

1日8時間以上の勉強を数ヶ月続けるのは
それなりに大変でしたが、
つまるところただの暗記です。

期間さえあればどうとでもなります。
全く楽しくはありませんでしたけど。

ただ一人、
僕と同じくクラスから浮き気味だったF君のことが
とても深く印象に残ってます。

F君は理学療法士になるべくして
生まれてきたような人でした。

両親、親戚共にPTで協会の役職に就いていて、
しかも大学の学長と友人。

大学の入学試験の合否判定を
電話越しに学長から聞かされた、
というからただ者じゃありません。

ちなみに僕の大学の学長は、
書き下ろしで専門書を出しているくらいの有名人です。

F君は純粋に勉強を楽しんでました。

単純な暗記ではなく
「なぜそうなるのか」を考えた学習を独学で行い、
国家試験の全国模試で上位数十名の中に名前が載るレベルにまでなっていました。

彼が浮いていたのは、
勉強に取り組む姿勢と視点が
周囲とは違っていたからだと思います。

僕みたいに周りとの温度差が〜とか、
そんなことをぶつぶつ言っていた凡人とは
全然違うところにいましたね笑

今振り返ってみると、
F君の勉強スタイルはお手本そのものです。

そんな彼と4年間学びを共にしていながら、
何一つ学ばなかった僕は底抜けの阿呆だったと
マジで思います…。

まあとにかく、
単純な暗記だけの勉強法でも期間さえあれば受かります。

少なくとも、
当時の国家試験はそれほど難しくありませんでした。

就職後、200万円の借金で道を踏み外しかけた話

さて、ようやくここまで来ました。

就職してからの1年間は
とにかく職場に慣れませんでした。
もうね、違和感マックス。

ただでさえ集団が苦手で都会に出ると気分が悪くなる僕が、
50人規模のリハ職種が集う回復期病院に
そうそう馴染めるはずがありません。

なんだかんだと必死に業務を覚えているうちに
あっという間に1年は終わりました。

臨床スキルどうこうよりも、
人間関係の方に苦労しましたね。

今まで人と関わってこなかったツケが回ってきた
って感じです。

2年目では少し周囲を見渡す余裕が出てきました。
業務後にやっていた無意味に長いミーティングの
やり方を変えようと提案したり。

効率的でない仕事のやり方を見ると
改善したくなるんですよね…。

この頃から外部の講習に積極的に行き始めます。

母校で開催されていた集中セミナーから始まって、
PT-OT-STネットで見つけた講習会に
手当たり次第に参加してました。

今思えば間違った勉強方法ですが、
それしか知らなかったんだから仕方ないです。

やみくもに行った勉強会ってモチベーションは上がるけど、
ぜんぜん身につかないんですよね。

受動的に受けた講義も実技も、
結局3日もすれば頭から消えてなくなります。
1週間もすればモチベーションだって元に戻ります。

ただ、「勉強しなくちゃいけない」という強迫観念だけは
年数を重ねるごとにどんどん強くなっていきました。

同期入社の人に一人、
既卒の作業療法士(OT)がいます。

彼Sさんは、
知識も技術も頭ひとつ飛び抜けてました。

治療技術に関して言えば、
入職時の時点で技師長や部長を抜いて
一番上手かったと思います。

とにかく観察眼がずば抜けてました。
患者に対してもそうだし、職員に対しても。

Sさんから個別に指導を受けていた3人の先輩は
その後みんな揃って主任に昇格しています。

それだけ教育的なスキルも持ち合わせた人でした。

「Sさんのようになるのに一体何年かかるんだ」

でも理学療法士として生きていく以上、
そうならないといけない。

僕は次第にそうした強迫観念に
取り憑かれていくことになります。

患者さんにとって、
Sさんの治療を受けるのと僕の治療を受けるのと、
払う金額は一緒なわけです。

それなのに得られる結果は目に見えて違う。
これほど理不尽なことはありません。

しかもそれは、
自分の身体がどうなるか、家に帰れるのか、
そんな、
これからの人生を左右しかねない問題につながってきます。

曲がりなりにも一人のPTとして、
治療技術を高めずに経験年数だけ上がっていくことには
恐怖感しかありませんでした。

それと同時に、
仕事に慣れて精神的に余裕が生まれると
将来のことを考えるようになっていきます。

このままの昇給具合でいくと、
10年後に自分の年収がいくらになるか…
それは世間一般のサラリーマンと比べてどうなのか、

やくたいもない計算をしている自分がいました。

10年間必死こいて勉強した結果
身についた知識と技術に対して、
その時病院からもらっている給料が見合ったものなのか?

そんなことばかり考えてましたね。

迷ったら本に解決策を求める。

今も続けている習慣の一つですが、
本から得た情報を正しく咀嚼する力がないと
逆効果になることがあります。

僕がこの時手にとったのは「7つの習慣」。
言わずと知れた自己啓発書の名著です。

本の中に「終わりを思い描くことから始める」
という習慣があります。

ゴールから逆算して今必要なことをしろ、
というトップダウン型の思考法のことで、
何のことはない、臨床で普段からやっていることです。

僕の思い描く療法士の理想的な姿はSさんでした。

で、そこに至るまでの道筋を
おぼろげながら知っていた僕は、
素直に「それはやりたくないな」と思いました。

そんなに勉強なんかできねーよ、って。
そこまでモチベーション高くないわ、みたいな。

将来に対する不安がどんどん膨らんでいく中、
ビジネス書にヒントを求めた僕は
それを持って「意識高い系の読書会」
に参加することにしました。

特定のテーマに沿った本を持ち寄って、
ひとり数分で自分が持ってきた本を紹介して語り合う。
そんな会です。

読書会自体は面白かったです。
自分が普段手に取らないような本を知る良いきっかけになるし、
単純にプレゼン力が鍛えられます。

ですが、
その読書会にハンターが紛れ込んでいました。

無知な羊の狩場として読書会を利用していた、
歴戦の女ハンターです。

女狩人のαさんは僕に近づいてきてこう言いました。

「あなたの紹介してくれた本、とても興味深かったです!
今日のテーマだった働き方について、
近々面白いセミナーが開催されるんだけど、
よかったら参加してみませんか?」

僕は二つ返事でOKしました。
そして実際に参加したセミナーは無料で、嘘偽りなく、
本心からためになるものでした。

内容は現代の社会情勢と、
生きていくために必要なお金のことについて。

もうね、とにかく話が上手いのなんの。

大学の授業なんて比べ物になりません。
職場の新人教育のプレゼンが鼻くそに思えるレベルです。

今だから分かることですが、
その話術にも、女狩人αの勧誘方法にも、
そしてターゲットになっていた僕(というかそのセミナー参加者全員)にも、
余すところなく社会心理学の誘導テクニックが使われていました。

社会経験乏しい無知なガキである僕にとって、
その勧誘は劇薬でした。

ポケモンで例えるなら、
レベル5のマダツボミに「だいもんじ」を食らわせるようなもんです。

効果はばつぐんだ!!

あれよあれよという間に、
気がついたら僕はネットワークビジネスの渦中に
入り込んでいました。

いわゆる「マルチ商法」ですね。

その先はもう、
坂道を転げ落ちるという表現がぴったりです。

「お金」という価値観に洗脳されていた僕は、
MLM(ネットワークビジネス)に違和感を抱いてからも
そこから抜け出せなくなっていました。

人を勧誘することで利益を上げるビジネスモデルなので、
当然のように人に会いに行きます。

でも僕自身が自分のやっていることに
違和感を抱いているので
誰かを勧誘することなんて出来ません。

狩人αが凄いところは、
自分のやっていることが完全に正しい
と心の底から信じ切っていた点です。

そして東京にはMLMなんて及びもつかないような
怪しいビジネス情報がわんさか溢れていました。

勧誘する方であったはずなのに、
気がついたら勧誘される側に回っている、
なんてことがザラでした。

もうね、
ミイラ取りがミイラ状態ですよ笑

「おれおれ詐欺に引っかかるなんて、頭悪いなー」
って昔の僕は思ってましたが、
なんのことはない、
同じレベルの詐欺情報に自分が引っかかるというね。

その挙句、稼ぐどころか
200万円近い借金を抱える羽目に陥りました。

普通に生きてるとまず見えない世界です。
でも道を踏み外した理学療法士は僕だけじゃありません。

給料全部つぎこんでMLMにハマっている若手PTと
あるセミナーで一緒になったことがあります。

大学のOBが怪しいビジネスで後輩を勧誘した結果、
理学療法士免許を剥奪された
という話を聞いたことだってあります。

僕の場合、唯一の救いだったのは
自分のやっていることに無意識に違和感を抱いていたこと、
そして、周りに引き止めてくれた人がいた、
この二点に尽きます。

詳しくは別の機会に譲りますが、
助けてくれたのは両親と、当時付き合っていた彼女です。

200万円の借金は親に頭を下げて
一時的に肩代わりしてもらいました。

それからは毎月8万円ずつ返済して、
ボーナスも入れて、真っ当なバイトをして、
1年半くらいで完済しました。

結局何が言いたいかというと、
自分の軸を持っていないと周りの情報に振り回される、
ってことです。

僕みたいに、あさっての方向に振り回される阿呆は
そう多くないでしょうけど笑

理学療法に的を絞ってから見えた、この仕事の価値

自分にとっての天職は
この世にたった一つだけとは限りません。

何でも天職になり得ます。

自分の仕事に対して、どれだけのことをやってきたか。
それが職の価値を、やりがいを決めるんです。

お金は価値を測るための絶対基準じゃありません。

金持ちだから幸せになれるってわけじゃない。
大事なのは、何のために稼ぐかです。

そのことに気がついてから、
理学療法士という職業が大好きになりました。

僕は昔から本が好きでした。
これまで知らなかったことを本を通して知りたい。
その好奇心は人一倍大きかった。

反面、勉強は嫌いでした。
勉強のための読書はつまらなくて仕方なかった。

でもそれは「学ぶ」ということの意味を
取り違えていたからです。

「患者さんを良くしなければならない」
という脅迫観念を外して、
純粋な好奇心に身を委ねたら一気に視野が広がりました。

元々医療には興味があった。
高齢者と話すことも好きだった。
情報をまとめて、誰かに伝えることが面白かった。

ならそれを仕事に活かせば良い。
先のことをあれこれ考えず、今に集中すれば良い。

現在の僕は変に肩肘張らず、
自然体で仕事ができています。

・病院に患者が読める本がないから稟議書を出して図書コーナーを作る
・地域住民に対して介護予防のプレゼンをする
・地域理学療法学会で発表する

どれも楽しんでやりました。

さらに、
・論文をベースにした新しい新人教育方法を実践する
・朝練で複数人の後輩に実技指導する

最近始めたことですが、それなりに好評です。

退院した患者さんやそのご家族から
感謝の手紙を頂く機会が増えました。

「どうぞ、お身体を大切にして、
素晴らしいお仕事を続けてくださいね」

涙腺がベルリンの壁なみに強固な僕でも
思わずじわっときた言葉です。

最後に、僕の理念と人生感について

ここまで読んでくれてありがとうございました。
長旅でしたね笑
そろそろ終点なので、もう少しだけお付き合いください。

僕が多くのものを失って得た教訓は、
自分の軸を知ることの大切さです。

理学療法士を目指した以上、
そこに自分の軸を探る手がかりは必ずあります。

「義務感」だけで辛い臨床実習は乗り越えられません。
「周りに合わせて」突破できるほど国家試験は甘くありません。
「何となく」で人は専門書を買いません。

僕の場合、「知識」が軸でした。
もっと絞れば「生き物、自然、人体、心理、哲学」
この辺りですかね。

自分の立脚点をはっきりさせて、
的を絞った学習をすれば
結果は勝手についてきます。

レオナルド・ダヴィンチの言葉に
こんなのがあります。

「学習とは、
絶えず変化する環境に適応するための生存戦略である」

自分のいる環境に適応できないと人は苦しみます。
高校、大学時代の僕がそうでした。

ですが、
環境を変えることが必ずしも正しいとは限りません。

実は「変える」のではなく
「適応する」方が大切だったりします。

そして、
そのためには学習が必要です。

いささか堅苦しいですが、
つまるところ
人生って楽しんだもん勝ちです。

今立っている場所の居心地が悪いなら、
それは学習によって変えられます。

自分のように仕事に違和感を抱いている人や
ぼっちで苦しんでいる人の導き手になりたい。

学ぶことの楽しさを
好奇心を呼び覚ましたい。

僕の一つの目標です。

「知識を知恵に変え、知恵を行動に移し、他者に影響を与える」

僕が考えた、僕だけの理念です。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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追記。

友人や家族がMLMのような危ないビジネスに
のめり込んでいるから何とかしたい、

という方がいたら下記フォームから連絡ください。

全力で力になります。

僕が目を覚ませたのは
周りの声かけがあったからです。

あなたの一言がきっかけになるかもしれません。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜