未分類

コロナショックを生き抜くためにゾンビ映画が教えてくれたこと

コロナウイルスによるパンデミックが映画さながらの昨今、
いかがお過ごしでしょうか。

新宿から人混みが消えるなんて映画の中だけだと思ってましたよ、ほんとに。

ところで、
あなたは映画は観ますか?

僕は小さい頃から洋画ばかり観てました。

オールジャンルで色々観るんですけど、
ホラー映画で面白い作品ってあんまりないなーって印象を持ってます。

血が出ればいいってもんじゃなくね?

って感じで、
ストーリー薄い作品が多くて。

そもそも、ゾンビって筋繊維どーなってんの?

お前らサルコメア崩壊してるから筋収縮できないだろ!
走れないだろっ!!

なーんて野暮なツッコミを入れたくなっちゃうのは僕だけですか?

空想でもいいから、
ゾンビ化における科学的根拠を説明している映画があったらぜひ教えて欲しいです。

とまあ、
そんなことは置いといて。

今回取り上げるのは、
ゾンビ映画で死亡フラグが立つキャラクターについての話です。

仲間を見捨てて自分だけ逃げようとする人は死ぬ

ある人が言ってたんですけど、まさにこれ。
死亡フラグの筆頭です。

「ここは俺に任せて先に行け!」
とタメ張るレベルのフラグじゃないですかね。

面白いゾンビ映画のポイントは、
人間ドラマがきちんと描けている作品かどうかです。

「28日後」や
「ウォーキングデッド」(海外ドラマだけど)
なんかはそこが逸脱でした。

共通して描かれているのは、
危機的状況に陥ったときに現れる人間の本性です。

我が身かわいさのために他者を平気で見殺しにする者、
自分の命を捨ててでも誰かを助けようとする者。

脇役と主人公のキャラ分けはものすごくシンプルです。

でも、僕がほんとうに恐ろしいと思うのは
他者を見捨てる脇役も、他者のために命を懸ける主人公も、

ゾンビが世界にはびこる前は普通に社会生活をしていた、

ってこと。

両者を見分けることは容易ではない、
という事実の方です。

ゾンビウイルスが世界に蔓延するまで、
誰が主人公タイプで誰が脇役タイプの人間なのか見分けがつかない。

それって怖くね?

そんなことを考えていました。

日常版、主人公と脇役の見分け方

僕の両親は登山が好きで、若い頃は縦走したり剣岳に登ったり、
割と過酷な山に登ってました。

で、あるとき母親がこんなことを言ったのを覚えています。

「山に登ると人の本性がわかる」

自分が苦しいときに他人を気遣えるかどうか、
それが非日常である登山では浮き彫りになるそうです。

普段会社でいばっている上司が、
天候の急変に取り乱してパーティの士気を下げる。

かと思えば、

いつもは目立たない青年が、
自分の持ってきた食料を一番疲労している人に分け与えたりする。

「自分さえ良ければ他人はどうなってもいい」
と考える人は社会の構成員から省かれます。

当たり前ですね。
誰だってそんな人とは一緒にいたくありません。

だから、
「知っていた方が生き延びる確率が高くなる情報」
にアクセスできなくなる。

他者を見捨てることでたとえ一時的に利益が増えたとしても、
長期的に見ると社会的に孤立した人間は脆弱です。

自分が困ったときに誰も助けてくれませんから。

僕はなにも、
偽善的に人助けは良いことだ、って言ってるわけじゃありません。

ゾンビに襲われている人を我が身を張って助けた人は、
自分が襲われた時も誰かに助けてもらえる(少なくともその確率は上がる)。

これって立派な生存戦略だよね、って話です。

まあ、誰かをかばったせいで自分がゾンビに噛まれて死んじゃう
って可能性もありますけど(笑)

もっと身近な話に置き換えてみましょう。

職場で自分が疲れている時、めちゃくちゃ忙しい時、
後輩が「ちょっといいですか?」と声をかけてきた。

その時にどういう表情をするか。どんな対応を取るか。

そこにその人間の本性が透けて見える。

僕はそう思っています。

今の自分には何ができるのか

「常に相手を思いやれ」って言うのは簡単です。
「相手の身になって考えましょう」って。

大学の授業でも職場の研修でも、散々聞かされました。

「患者さんの身になって考えましょう」

でも僕はそういう“キレイゴト”があまり好きじゃありません。

使い古されて手垢のついた言葉を聞くと、反射的に拒否したくなる。
・・・性格悪いですね(笑)

相手の身になって考える・・・って要するに、
他者に共感する、ってことでしょ。

でも共感能力って、生得的に多寡が決まっている。
そしてそれは容易に鍛えることはできません。

僕は低いです。共感能力。
映画を見て泣くことはめったにないし、チームワークも苦手だし。

でも、どんな状況においても、
「今の自分に何ができるのか」を考えることは可能です。

次の患者のリハビリに遅れそうな時に、
「トイレに行きたい」とベッド柵をがたがた揺らす認知症患者を見かけた。

自分だったらどうして欲しいかを考えて(共感して)行動に移せる人は、それでいいです。
(というか、そうなれない僕からしたら純粋に羨ましいです)

でも、たとえそれが出来なくても、
自分で選べる選択肢はあるんです。

認知症患者をトイレに誘導してリハビリ予定の患者に遅刻したことを謝罪する。
あるいは
介護士に状況を説明して対応を依頼する。

たとえその患者の心情を慮ることがなくても、
見て見ぬふりをするよりずっと良いはずです。

ゾンビに襲われている人を助けられるのは、
他者に共感できる人じゃない。

咄嗟の判断で駆け出した人です。

そしてそれは、
平時から「今の自分には何ができるのか」という問いを内面化していた人であるはずです。

僕は優しい人でいるよりも、
その時々における最善手を選べる人間でありたい。

そう思っています。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

追記。

僕はもともと学習意欲のない
アンチ意識高い系のザコ療法士でした。

別にPTになりたくてなったわけじゃないし。
勉強とか全然つまんないし。
人助けとか、偽善じゃね? みたいな。

今は毎日専門書を開いて学び、
それをアウトプットする生活を続けています。

ぶっちゃけ、想像もしていませんでした。

僕が変わったのは、
学ぶことの楽しさを思い出したからです。

今の日本の学校教育では
タスク処理能力ばかり教えています。
だから勉強=つまらん、みたいになっちゃう。

でも誰だって子供の頃は目を輝かせて
「なんで?なんで?」って世界の仕組みを
知りたがったじゃないですか。

勉強=楽しい
このことを思い出せれば、
人生はもっと楽しくなります。

この記事では、僕が試行錯誤を経て
今に至る道筋がわかります。

→カラスミのプロフィール。
理学療法士の将来性に不安を感じて個人ビジネスしたら200万円の借金地獄に落ちた物語

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜